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2009年6月 1日 (月)

耳の底に残る声

英語を教えていると(他のことでも同じでしょうが)こんなことをしていて、意味があるのかとか、本来はこうすべきとか、考えてしまいませんか?私も以前はそういう悩みがありましたが・・・今は目の前にいるこの方・この生徒さんに(大人の方もいらっしゃいますから)何かが残ればそれでいいと思っています。何より英語の場合確実に残るもの、それは「声の記憶」ではないでしょうか?

そう思ってシャドーイングもしています。自分の音を磨くことで相手にとって心地よい声・耳に残る声を目指したいからです。私の耳の底にいつも残っているのは小学校の時に担任の先生の歌う声、音楽祭で歌った色々な歌です。勉強の内容や細かいことが残るでしょうか?声は音楽はもっと人間の根源的なものに訴えかけてくるからこそ、ずっと残ると思うのです。ですから、英語の歌はきっと耳の底でいつまでも残ってくれるはずです。

例えば中3まで在籍した男の子のお母さんがこうおっしゃっていました。けっこう反抗的というかけして英語大好きなどという風はなかったけれど、ある時、私の声で英語に慣れてしまっていたから英検などで男の人が試験官だとどうも調子が悪いと言ったそうです。多読もして卒業していったので、インターネットで英語のサイトも見てわかっているらしいです。男の子はむずかしい、多読を喜ばないとおっしゃる先生方多いですが、耳の底には残るし多読はちゃんと役に立つのではないでしょうか?気づくのに時間はかかりますが。

100パーセントこれがここにというふうに、まるで薬を飲んで風邪が治るようなわけにはいきませんが、きっとどこかが違うはず。そのへんに気づくには膨大な時間がかかるかもしれません。でも、自分の経験から言っても、自分の持つ何かに気づくのは中年以降かもしれませんよいつも明るく前向きに考えていきたいです。

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